REPORTレポート

Vol.17 水戸のまちなかビジョンを作る

2024.05.16

自分事としてのビジョン
 令和2年9月に本格的にスタートした「水戸のまちなか大通り等魅力向上検討協議会」。最初に着手したのは、水戸のまちなかのビジョンづくりです。多くの人が共感できて、ともに未来の姿として共有し、自分事としてその実現のために取り組むことの出来るビジョンを。協議会の全体会議の下に設置された1委員会と4部会を舞台に、専らコロナ禍に伴うリモート会議によって、熱い議論が始まりました。

水戸のまちなかの変化
 かつて水戸のまちなかは、広域水戸都市圏の中心として、遠方からの買い物客で賑わっていました。遠方の人にとっても、また郊外に住む多くの水戸市民にとっても、水戸のまちなかは「まち」であって、非日常的なワクワク感のある、ハレの場でした。  でも時代は変わり、今日、水戸のまちなかは、多くの人にとってのハレの場としての役割は果たせなくなってきました。特別なワクワク感を提供できるエリアではなくなってしまったのです。そのような場所が郊外にたくさん出来たし、また、まちなかは車利用には不便、などが主な理由です。  そしてどうなったか。それまで、まちなかで買い物をしたり、新しい刺激を求めて顔を出したりしていた人の多くが、その目的地を郊外へと変えてしまったのです。まちなかを見捨ててしまった。既成市街地を「私たちのまち」として大切にする欧州には見られない光景です。その一方で、まちなかは、それまでのストックとしての医療・福祉や教育、消費・金融、情報・娯楽・文化、交通・生活基盤等、様々な都市機能が集積していることから、とても暮らし易いのは事実です。ドキドキ感はなくても、日々穏やかに暮らしていくにはもってこいの場所、という訳です。結果、ドキドキ感は郊外へ移転し、まちなかは静かな、おとなしい場所に変わってしまいました。

水戸のまちなかの使命
 どんなことにも言えることですが、変化を伴わないものは、衰退します。まちなかも、中心地としての日々革新・変化があって、初めてまちなかとしての歴史と伝統を紡ぐことが出来ます。  水戸のまちなかには、まだまだステータスは残っています。多くの人は、茨城の中心だ、と思っています。そのイメージは大切です。水戸のまちなかが衰退すると、茨城全体のイメージが衰退します。さらに、400年以上続いた広域水戸都市圏の中心の水戸、そのまた中心のまちなかが、私たちの目の前でみるみる衰退するのを、水戸っぽとして看過できません。水戸のまちなかは、常に元気で、ワクワク感があり、常に何か新しいまちであることが、使命です。

誰のためのまちなかなのか
 ビジョンづくりに向けての議論の中で、それでは誰にとってのワクワク感か、が問題となりました。つまり、これから作るビジョンのターゲットは誰なのか。
 「まちなかは皆のものだ。しかも水戸のまちなかなら、広域水戸都市圏、もっと言うと茨城県民全員にとって価値のある場所にすべきだ。さらには、他県からの来街者、観光客もいるから、そう考えると、ターゲットは広く一般の人みんなとするべきではないのか」。乱暴な話のようですが、このような意見、考え方にも一理あります。  でも、そんな八方美人的な考え方で良いのでしょうか。バブル経済崩壊前までは、確かにそのような栄光もありました。でも今現在の状況では、それは欲張り過ぎで、結局は何も手に入らないのでは?そんな結果が目に見えてきそうです。

まちなかの当事者にワクワク感を
 それではどうするか。  過去に果たしてきた役割は一旦放棄して、せめて、居住者や通勤通学者、またこのエリアに関わろうとする人にとって、価値のある、ワクワク感を提供できる場所、常に何か新しい、毎日何かが生まれ、新しい発見のある街に。そんな再生を、そんなチャレンジが出来ないか。  自分たちのフィールドを、まちなかの当事者自身がワクワク感を持って満喫する姿、それこそが、きっと水戸のまちなかの新しい魅力であり、結果として広域水戸都市圏をリードする水戸のまちなかの新しい姿、来訪者・観光客も含めたより多くの人にとって価値のある、魅力的な場所になることでしょう。

この記事を書いた人

三上靖彦

1959年水戸市生まれ。水戸第一高等学校、筑波大学第一学群自然学類、筑波大学大学院修士課程環境科学研究科を経て、さまざまな街づくりに携わる。現在では株式会社まちみとラボ代表を務め、水戸の歴史と文化、芸術を活用して、水戸のまちに新たな価値を創造し続けている。

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