REPORTレポート

Vol.16 多発する自然災害を考える

2024.05.16

多発する自然災害
 近年、全国的に自然災害が後を絶たない。茨城県でも平成29年の鬼怒川や令和元年の那珂川・久慈川の氾濫は記憶に新しい。何故か?今までに経験したことがない、想定外の事態が発生したからでしょうか?明治維新を正当化し、日本の夜明けであるとする薩長史観に対し、水戸藩士の末裔である私は、明治以降の日本が、近代化・欧米化の名のもとに、「持続可能性」と言う大切なキーワードを忘れてしまった結果が、今日の日本の姿であろうと考えています。多発する災害について、明治日本の近代化が招いた今日的課題について整理し、その原因を探りつつ、今後の展望について考えてみましょう。

確率論の限界
 河川の堤防の高さ等、自然災害に対する備えの基本は、明治30年代頃から得られる100年程度の期間の雨量観測データ等を基にした確率論で構成されています。しかし、最近の異常気象は、統計データを裏切るものばかり。「今までに経験したことのない」とか「想定外」の自然災害には、もはや100年の知見ではなく、千年あるいは一万年のオーダーでの対応が必要です。人間のスケールではなく、生きている地球のスケールで考える。それを踏まえた対応ができれば、地震、津波、火山、土砂崩れ、土石流、浸水などに対し、より効果的な対策、つまり持続可能な安心安全が手に入るはずです。

活かされない歴史的教訓と 土地条件
 例えば、東日本大震災で津波の被害を受けた仙台平野では、浸水域の先端が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっています。街道は過去の浸水域を避けて整備されました。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波を受け、宿場町を今の位置に移動。今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいます。しかし、明治以降の開発において、津波の経験は失われました。  また、今、私たちが見ている地形は、それぞれに長い歴史があって現在の形になっています。地球は生きていますから、今でもその発達の途中であり、今後も変化し続けます。どんな発達過程を経て現在の形になったのかを示すものが国土地理院発行の「土地条件図」です。地形は日常的な自然環境では殆ど変化しませんが、非日常的な天変地異が発生した時に、大きく変化します。土地条件図を見れば、地域の成り立ちと、今後の災害危険性も把握できます。しかし、災害に関する報道を見聞きしていても、それが活かされている様子はありません。

災害は天災、被害は人災
 このように考えると、自然災害は天災ですが、歴史的・地形的知見を活かした予見をせず、「想定外」で済ませている現状は大きな怠慢で、それによる被害は人災と言えます。かつての街道整備にしても、土地利用にしても、自然の猛威に対し日本人は、もっと謙虚でした。災害被害が多発する大きな原因は、その謙虚さが失われたことにありそうです。また、「原発神話」という言葉があります。自然災害に対しては「堤防神話が崩れた」との報道もありました。でも、そもそも神話と呼ばれるものには科学的根拠はなく、それを本気で信じてはいけません。

自然との向き合い方と 日本らしい土木技術
 かつて日本人は、圧倒的な自然に対し、畏怖の念を込めて謙虚に受け止め、それを踏まえた上で、土木という技術で暮らしの基盤を作ってきました。それが日本の伝統的な土木技術であって、それは「自然との共生」の道を選んでいました。しかし明治期以降の土木技術は、「自然とは克服するもの」との欧米的な考え方に基づき、よく分からないものには確率論で対応し、かなり無茶なことをしてきました。異常気象とは言え、日本を含む世界中で、これだけ大きな自然災害が連続的に発生し、大きな被害がもたらしている元凶は、このあたりにありそうです。  そんな目で見ていると、ブラタモリは面白い番組です。多くの視聴者は何に感心しているのでしょうか。私なりに解釈すると、「主に明治期以前の日本の土木技術が、見事なまでに自然環境との折り合いをつけ、自然と共生する社会基盤づくりを実現していた」と言う事実を、解り易く紹介しているから。  このブラタモリの教えを尊重し、失われた過去を振り返り、自然に対してもっともっと謙虚に、畏敬の念を込め、自然と共生する日本らしい土木技術の再発見、再構築が期待されます。

この記事を書いた人

三上靖彦

1959年水戸市生まれ。水戸第一高等学校、筑波大学第一学群自然学類、筑波大学大学院修士課程環境科学研究科を経て、さまざまな街づくりに携わる。現在では株式会社まちみとラボ代表を務め、水戸の歴史と文化、芸術を活用して、水戸のまちに新たな価値を創造し続けている。

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